渋谷の父 ハリー田西の連載小説
「渋谷の父 占い事件簿 不死鳥伝説殺人事件」
〜第一の的中(1)〜
若葉の薫りが、やわらかな南風に乗って、ほのかに漂う五月だというのに、五月晴れは望めず、早くも梅雨の走りを思わせるじめじめとした天候が続いていた。
ほどほどの雨ならば恵みの雨となるが、それが何日か続くと、それはただ人々をひたすら鬱にさせる不吉な予兆の雨でしかない。
その日も朝から雨が降り続き、いつやむとはなく夜となり、いつのまにか日付が変わってしまった午前零時過ぎ、都内で一件の交通事故が発生した。
環状七号線の柿の木坂陸橋のカーブしながら下る坂道を、上馬方面から猛スピードで走り降りてきた赤いフェラーリF430が、濡れた路面でハンドルを取られ、横滑りしてガードレールに激しくぶつかった後、横転し、中央分離帯に突っ込んで大破した。
運転していたのは、ロックミュージシャンの"MASAKI"こと田辺正樹。彼は重症を負い、ただちに救急車で昭和大学病院に搬送されたが、一時間後に死亡が確認された。
また、助手席にはMASAKIと交際中のグラビアアイドル・奥脇千春が乗っていたが、こちらも頭を強く打ってほぼ即死状態であり、搬送先の病院で死亡が確認された。
現場は碑文谷警察署のすぐ近くで、事故の処理にあたった碑文谷署の調べによると、MASAKIの遺体からは少量のアルコールが検出され、酒気帯び運転の上にスピードを出しすぎたために、雨でハンドルをとられたのだろうということだった。
この日、MASAKIは、夜九時過ぎにニューアルバムのレコーディングを終え、三宿で奥脇と待ち合わせて、いきつけの「クレモナ」というイタリアンレストランで、二人で食事をした後、洗足にある自宅マンションへ帰る途中だったという。
「クレモナ」のマスターの証言では、食事の時、ビールを一本だけ注文して飲んでいたが、MASAKIはもともと酒には強い方だし、それほど酔っているふうでは見えなかったという。
ただふだんと違って口数が少なく、どこか元気がないので、疲れているのか体調でも悪いのかと心配になっていたともいう。
まさに岡倉天外の予言が当たってしまったのだ。
それも奇しくも『岡倉天外SP』が放送された直後の衝撃的な出来事だった。
しかも、事故を予言されたMASAKIは、自ら命を落とすという悲劇的な結末を迎えてしまったのだ。
番組自体は事前にVTR収録されたものであるが、収録日から放送当日までMASAKIはなんの事故に遭うこともなく無事に暮らしてきた。
ところが、よりによってMASAKIは、オン・エア当日を待つように事故を起こし、壮絶な最期を遂げてしまったのである。まさに偶然という一言では決して片付けられない数奇な運命のめぐり合せであった。
『岡倉天外SP』のプロデューサーである吉村徹は、早朝の四時に自局のワイドショーのプロデューサーからの電話で起こされ、MASAKIが事故死したという知らせを聞いた。
昨夜は、局でオンエア・チェックをして、制作スタッフと打ち合わせを兼ねて六本木で食事をし、奇しくもMASAKIが事故を起こした頃に帰宅し、床についた。あれからまだ四時間とたっていない。
吉村は2年前に離婚し、現在は乃木坂のマンションで一人暮らしをしている。だから、電話が鳴ると、自分でとらなくてはならない。
このMASAKIの事故を知らせる電話も、ほとんど白河夜船のまどろみの中で受けたせいか、しばらくはボーッとして実感が湧かず、その知らせが夢の中の出来事のように思えて、思わずほっぺたを叩いたほどだった。
そして、徐々に意識がはっきりしてくるにつれ、これは大変なことになったと思った。
局の上層部からは、このところ20%を超えることがない番組視聴率を、「どんな手を使ってもいいから、もっと上げろ!」と、はっぱをかけられている。
それ故に、番組のプロデューサーとしては、岡倉天外の占いが当たって視聴率も上がるということは、"おいしい"ことには違いない。
しかし、実際に占われた出演者が死ぬという形で占いが的中してしまうというのは、制作サイドの期待の範囲をはるかに超えてしまっているといっていいだろう。
吉村は、洗面台で顔を洗って、気を取り直すと、早朝で申し訳ないとは思いながら、岡倉天外のもとへまず電話をかけ、このことを知らせた。まもなく彼のもとへもマスコミの取材が殺到すると思ったからだ。
吉村から直接電話を受けた天外は、
「そうですか。わかっていました」
と、短く確信していたように言った。
「誰か先に事故のことを知らせてきたんですか?」
「いや、彼には昨日から何かが起こる波動が来ていましたからね。何かが起こると思っていました」
「ほう、先生はわかっていたわけですか。それにしても闇亡殺でしたっけ?これで、あの占いが的中ですね」
「闇亡殺は怖ろしい気にあふれています。起こるべくして起こったとしか言いようがない。彼も素直に私の鑑定に耳を傾け、気をつけてくれれば命を落とすまではなかったと思いますが・・・」
と、しみじみ語った。
その口ぶりからは、ふだん言われるような傲慢さは感じられなかった。ただ自分の占いに絶対的な確信を持っているのは確かであった。
天外に電話をかけ終えると、吉村は、ふと次週のオン・エアがどうなるんだろうという不安に襲われた。
通常、『岡倉天外SP』は事前にVTR収録されて放送されている。
しかも、たいていの場合、一ヶ月近く先の放送分まで先行して収録しているので、次回五月二十八日の放送分もすでに収録も編集も済んでいる。
しかし、MASAKIが死んだとなると、この事故に触れずに、すでに収録済みの番組を放送するのは、いかにも間が抜けた感をまぬがれない。
吉村は、考えた。
(だとすれば、今回だけ急遽生放送するしかないかもしれない。どういう形であれ、この衝撃的な事故をクローズアップする形で放送すれば、話題性からいっても、おそらく視聴率は30%を突破するのは確実だ。とにかく、至急、放送の準備にとりかからなくてはならないだろう)
吉村は、そう思うと、矢も楯もたまらず、番組を下請け制作しているTD映像のプロデューサーである金子和人に電話をして自らの考えを伝えると同時に、五月二十八日のケン橋本ら司会陣のスケジュールを押さえること、また今日の午後イチで緊急に会議をするので、ディレクターや構成作家を集めろと指示を出した。
そうこうしているうちに夜が明けて来た。
案の定、夜明けとともに大変な一日が始まった。
たとえば新聞は、事故が発生した時間が深夜だっただけに、ほとんどの宅配版は締め切りが間にあわなっかたが、駅売りの各紙は、一般紙もスポーツ紙もこぞってこの衝撃的な事故を一斉に伝えた。
"前夜の予言的中!MASAKI、衝撃的な事故死!"
"予言は本当に当たった!MASAKI、占いどおりに死す!"
どの紙面を見ても、岡倉天外の占いが的中しMASAKIが非業の死を遂げたとセンセーショナルに報じている。それだけ彼の死の衝撃が大きいということだろう。
新聞だけではない。テレビのワイドショーは、どの番組も朝からトップニュースでこの事故を伝え、中でも事故のきっかけを作ったともいえる『岡倉天外SP』を放送した東亜テレビは、番組のVTRを繰り返し流して、天外の占いの検証まで行なう力の入れようであった。
また、当然のように驚愕の占いをした岡倉天外のもとにも朝からマスコミの問い合わせ殺到したが、当の天外からは何もレスポンスがなかった。
しかしながら、あまりの反響の大きさに、渋谷区松涛にある天地推命学の本部には、多数の取材陣が押しかけ、付近は騒然とした状態となった。
松涛といえば、大使館や豪邸が建ち並ぶ都心の超高級住宅街である。その閑静な一画が、あたかも市街戦の現場かと見まがうばかりに一変。渋谷署からパトカーが駆けつける騒ぎとなった。
その結果、午前10時に、天地推命学の顧問弁護士を務める石丸康一郎が出てきて、「只今より今回のタレント・MASAKI氏の事故死に関する天地推命学本部、及び岡倉天外氏のコメントを発表します」と言って、次のような天命側のコメントのコピーを配布し、これを読み上げた。
『今回事故で亡くなられたMASAKI氏に対し謹んでお悔みを申し上げます。一部では私の占いに今回の事故の原因を帰するものがあるようですが、事故そのものついては、当然ながら私どもはなんら関与はありません。天地推命学によれば、たまたまMASAKI氏には闇亡殺という不吉な運気がめぐっており、それ故、予め起こりうる事故などの危険性を鑑みて、ご忠告申し上げただけであります。その点、ご理解の上、近隣の皆様へのご迷惑もあり、今後の取材は差し控えていただきたく存じます』
ベルサーチのスーツをそつなく着こなした石丸は、いかにも怜悧そのもので、彼が縁なしのメガネの縁を押さえながら、氷のような表情で「天地推命学本部及び岡倉天外氏のコメントは以上です」というと、これ以上の過剰な取材を止めるようにと取材陣を牽制した。そのあまりにも隙のない雰囲気に、さしものうるさい型のレポーターたちも、それ以上何も言えなくなってしまった。
たしかにMASAKIの事故については、岡倉天外には何ら責任はない。
ただ、あの予言がMASAKIに心理的な圧迫感を与えていたとしたら、それは道義的には多少の責任があるといえるかもしれない。
でも、そうなると、究極的には番組としてそういう予言をさせたテレビ局の責任がどうなるかというところにまで行ってしまい、逆にそれが言論の弾圧を含む表現の自由を侵すものという論議にまで行き着くかもしれない。これは非常にデリケートで、微妙な問題であった。
こういう時は、むしろ貝になるのが一番である。
・目 次
・プロローグ
・二人の占い師(1)
・二人の占い師(2)
・二人の占い師(3)
・第一の的中(1)
・第一の的中(2)
・第一の的中(3)
・第一の的中(4)
・第二の的中(1)
・第二の的中(2)
・第二の的中(3)
・第二の的中(4)
・第二の的中(5)
・第二の的中(6)
・相次ぐ失踪(1)
・相次ぐ失踪(2)
・相次ぐ失踪(3)
・相次ぐ失踪(4)
・悲しい結末(1)
・悲しい結末(2)
・悲しい結末(3)
・悲しい結末(4)
・悲しい結末(5)
・悲しい結末(6)
・悲しい結末(7)
・悲しい結末(8)
・悲しい結末(9)
・解けない謎(1)
・解けない謎(2)
※この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称は一部許可を受けたもの以外すべて架空のものです。