渋谷の父 ハリー田西の連載小説
「渋谷の父 占い事件簿 不死鳥伝説殺人事件」
〜プロローグ〜
目を開いては前へ進むことができないほどの強い横殴りの雨が降っていた。九頭竜川は、さらに水かさを増し、まるで竜が身体をくねらせて暴れまわるように、轟々と音を立て流れている。その土手沿いの道を、作造は雨のカーテンを手でかきわけるようにして必死に走って逃げた。
「Stop!Stop!But、Shot!」
背後からMPのジープが、英語の叫び声を上げながら作造を追ってくる。
この暴風雨の中、福井城址に設営された進駐軍のテント村に忍び込んだ作造は、倉庫から嗜好品をたすきがけにした雑嚢につめ、持ち出そうとしたところをたまたま倉庫に入って来た米兵に見つかり、MPに追われるはめになった。
「ち、ちくしょうの。な、なんて運が悪いんや」
そんな作造を見つけた米兵だって、倉庫の品物を小遣い稼ぎに横流しするためにこっそり侵入して来たところだったのかもしれない。作造は、おのれの不運を嘆くように声を出し、半分泣きながら走った。もう雨だか涙だかわからない。口からも大量に水が流れ込んできた。
次の刹那、「バキューン!」と雨の中ににぶく爆裂音が響いた。遠目には弾が当たったのかすら定かではなかったが、作造は前のめりになり、地面にもんどりうって倒れ込んだ。
しかし、作造は全身に痛みを感じながらも立ち上がると、転がるようにして土手に這い上がり、そのままあたかも竜がごうごうと唸るかのように、水かさを増して流れる九頭竜川に飛び込み見えなくなった。
「ガッテム!イズ・ヒー・マッド?イット・ジャンプト・イントゥ・イット・ボランタリー!」
「ヒー・ウィル・ノット・サーバイブ」
MPの一人が川面に向け、ウサを晴らすように無造作にピストルを発射した。
先月末、福井県の嶺北地方から石川県の加賀地方にかけての一帯を襲った大地震で、作造の住む福井の街は壊滅的な被害を受けた。
震度7。死者・行方不明者3,769名、負傷者22,203名、全壊36,184戸、半壊11、816戸、焼失3,851戸、平成七年に阪神・淡路大震災が起きるまでは、戦後最大の被害を記録した関東大震災以来の未曾有の大地震であり、福井平野では全壊率が六十%を超えた。
その福井には全国から温かい援助の手がさしのべられたが、GHQも大量の食糧、物資を兵士ともに福井へ送り、復興の手助けをした。
同年の七月六日付の福井新聞を見ると、GHQ第八軍司令官・アイケルバーガー中将が、当時の小幡治和知事に書簡を送り、「フェニックス(不死鳥)のごとく立ち直れ!」と激励したとある。
福井市をフェニックスの街と呼ぶのは、この街がアイケルバーガー中将の言葉通り、戦災、地震、洪水という三度の壊滅的な被害から立ち直り、復興したことに由来する。
野路作造は昭和二〇年の暮れ、満州からの引き揚げ船で舞鶴に着き、生まれ故郷の福井市に帰って来たが、その福井市内は昭和二〇年七月の大空襲でほとんどが焼けて落ち、焦土と化していた。
それでも作造は、鯖江市の親類に身を寄せていた妻の勝子と長女の正江と
再会を果たし、焼け跡でようやく家族三人の暮らしを始め、翌年、長男の剛太が誕生した。
ところが、作造一家のそんな頑張りに象徴されるように、生真面目で勤勉な福井県人の努力でようやく復興への兆しが見えたかに見えた福井を襲ったのが先の大地震であり、人々の心は再びずたずたになった。
しかも、これだけ過酷な試練が続くと、明日のことなど誰にもわからない。空襲、地震に続く新たな恐怖が襲ってくるよもしれなかった。
だが、戦火をくぐり抜け震災をも生き抜いた作造は、自らの強運を確信していた。(おれはの不死身だ。強運だ。だから、いつかこの手ででっかいことをやってやる)と。
そんな時、まさに脅威が福井を襲ったのだ。
そして、強まる風雨の中で、作造は考えた。
「よし。なんかをやるならほんな日やざ。これは天が与えてくれた幸運
だ」と。
こうして意を決してGHQのテント村に忍び込んだというのに・・・
よりによって、それが見つかってしまうとは・・・
「これは天罰なのか・・・?そんなはずあるか・・・」
作造の頭の中に、「いいか、作坊、福井の福は幸福の福だ。わしらにはその幸福が付いているのんだ」
そう言って漢字を教えてくれた祖父の言葉が浮かんだ。
福井市はかつて北ノ庄といわれた。四九万石を領有した戦国大名・柴田勝家の北ノ庄城は現在柴田神社のある福井市中央に本丸があった。
ところが、信長亡き後の一五八三年四月二四日、勝家は同じ信長の配下の後輩であった羽柴秀吉の大軍に攻められ、お市の方とともに自決した。
その後、江戸時代には徳川家康の二男・秀康が藩祖となり北ノ庄藩が開かれ、その居城は現在の福井県庁の場所にあったとされる。二代目藩主は秀康の長男・忠直が継いだが、忠直は乱行の余り豊後萩原に配流された。こうした不幸続きに、一六二四年、三代目藩主となった忠直の弟・松平忠昌は、北(にぐ)る=逃げる、敗北するを意味する北ノ庄という地名を嫌い、当地の地名を福が居るという意味で福居と改めた。それが転じて現在の福井という地名なったという。
「おかあちゃん、ひっでぇ、嵐やねぇ。おとうちゃん、とろいなぁ」
「ほやのぉ。まだ帰ってこんなて、ものごいねぇ」
「おかあちゃん、ほら見てみぃ。こんな嵐なのに和雄はよう寝てるわ」
「ほやのぉ。でも、起こしたらあかんよ。そのまんま寝かしとき」
「うん」
と、昭雄がそう返事をして振り返った刹那であった。突然、バキッというにぶい音と共に戸板の一部が飛ばされ、バラックの中に濁流が流れ込んできた。
「キャーッ、おかあちゃん、水や〜」
復旧したばかりの九頭竜川の堤防が再び決壊したのだ。
そして、その時、外から薄い戸板を荒々しく叩きながら、「ダレカ、イルカ!ダレカ イルカ!」と尋ねる声が豪雨の中にこだました。
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・第二の的中(3)
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・第二の的中(5)
・第二の的中(6)
・相次ぐ失踪(1)
・相次ぐ失踪(2)
・相次ぐ失踪(3)
・相次ぐ失踪(4)
・悲しい結末(1)
・悲しい結末(2)
・悲しい結末(3)
・悲しい結末(4)
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・悲しい結末(6)
・悲しい結末(7)
・悲しい結末(8)
・悲しい結末(9)
・解けない謎(1)
・解けない謎(2)
※この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称は一部許可を受けたもの以外すべて架空のものです。